益軒座右

 中国古典は四千年の歴史の中で脈々と編み上げられただけあって非常に面白く、生きていく上でためになる多くの話や言葉に接することができます。益軒先生の言葉もこの中国古典から影響を受けたものが多く見受けられます。そんな益軒先生の言葉を中心に中国古典の話をダラダラと書いていこうと思います。
 最近、中国という国を理解しがたいと感じる日本人は結構多いと思うのですが、もし中国人の考え方を知りたいという願望が芽生えたときにはこの中国古典を紐解いてみるのが一番の早道だと思われます。日本人の基本思想・儒教は信義を尊び礼儀正しい日本人の基本理念でそれは国際的にも高く評価されていると私は信じるのですが、ただ中国人にとって儒教はいくつもの思想の中の一思想でしかないのです。この辺りが日本人が中国という国を理解できないひとつの要因となっているのかもしれません。
ここでは益軒が参考にしたと思われる中国や日本の古書や名言について記載します。
 
 
 
 

【「益軒座右」に関する投稿】

人を謗らずは難しい? 投稿日2018年11月18日
貝原益軒の 大和俗訓 巻之五 言語 には次の通り書かれています。 「人をそしるは、其の人に対せず、かげにてひそかに言ふことなれば、其人知るべからず、何の害かあらんと思ふは愚かなり。そしりは必もれ [...]

酒は衰微、花は半開。 投稿日2018年5月20日
「万(よろず)の事十分に満て、其(その)上にくは(加)へがたきは、うれいの本なり。古人の曰く、酒は微酔にのみ、花は半開に見る。」 (全ての事において、十分に満ち足りて、その上に加えることができない様 [...]

禍と福について 投稿日2018年5月16日
「命の長短は身の強弱によらず、慎と慎しまざるによれり。白楽天が語に、福と禍とは、慎と慎しまざるにあり、といえるが如し。」と養生訓で益軒は語っています。 (寿命は身体の強弱ではなく慎むか慎まないかで決 [...]

大きく疑えばすなわち大きく進むべし 投稿日2018年5月13日
益軒の哲学書「大疑録」には「大きく疑えばすなわち大きく進むべし。小さく疑えばすなわち小さく進むべし。疑わざれば進まず。」という朱子の言葉が載せられています。 これは「学門は覚えるだけではなく、疑問を [...]

養生の至れる法あり 投稿日2018年5月10日
益軒は「古人の教えに養生の至れる法あり」と養生訓で三人の言葉を挙げています。 孟子 「寡欲」(欲を寡[すく]なく) 王昭素 「身を養う事は欲を寡するにしくはなし [...]

衣食足りて栄辱を知る 投稿日2018年5月8日
養生訓の一節。 「一日も楽しまずして、はかなく、年月を過ぬるは、愚なりと云うべし。」 なるほど~生まれて来たからには、人生、楽しく生きるべきなのだ。 「たとえ家が貧しくて、幸なくして、飢えて死ぬ [...]

楽しみは極むべからず 投稿日2018年4月22日
五経の中の「礼記(らいき)」には「楽しみは極むべからず」とあります。 物事は極めてしまえば面白みが薄れるという言葉で、転じて「何事もほどほどに止め、やり過ぎはよろしからず」といった戒めの言葉なのかも [...]

言に匪ずんば言うなかれ 投稿日2018年4月22日
「言に匪(あら)ずんば言うなかれ 由に匪ずんば語るなかれ」 これは高校の漢文または倫理社会で学んだ儒教の基礎となる書物・四書五経のひとつ「詩経」に書かれている言葉です。 「言わなくてよい事は発言し [...]

不偏不党 投稿日2018年4月19日
益軒は「養生訓」巻第二の末項に次の通り書いています。 「後人、その偏見に従いて組するは何ぞや。凡(おおよそ)職見なければその才弁ある説に迷いて、偏執に泥(なず)む。」 (後世の人は、その偏見に [...]

「益軒座右」のページを作成しました 投稿日2018年4月15日
 中国古典は四千年の歴史の中で脈々と編み上げられただけあって非常に面白く、生きていく上でためになる多くの話や言葉に接することができます。益軒先生の言葉もこの中国古典から影響を受けたものが多く見受けられ [...]

徐福伝説は福岡にも? 投稿日2017年3月31日
徐福は秦の始皇帝より「延年益寿」の薬を探すように命を受け、若い男女3000人と五穀の種、工匠たちを引きつれ出航し蓬萊山へ向かうが、その後、徐福は広い土地を得て王となり始皇帝の元に戻ってくる事はなかった [...]

酒は天の美禄なり 投稿日2016年7月2日
貝原益軒は養生訓で「飲酒」について次のように語っています。 「酒は天の美禄である。少量の飲酒であれば陽気になり血行も良くなり、食欲も出て、愁いを忘れ、やる気が起こり、たいへん利益がある。ただし多 [...]

学校院跡 投稿日2014年7月19日
「筑前国続風土記」では、「学業院(学校院)は吉備真備(きびまきび)が建てたと伝えられているが、おそらく真備が天平6年(734)、大宰大弐に任じられた時の事ではないか」と推測しています。 また神護景雲3 [...]